土曜日のこと。
ひとりで氷ノ山に登ってきた。
福定親水公園から山頂を経て、東尾根を下る約12kmのルートである。
単独行であった。妻氏は家で寝ているはずだ。
単独での山行にあたって怖いことは幾つかある。
第一は帰りの運転である。疲れたら眠くなるのが人間である。
第二はマムシ、熊、滑落等による怪我である。
そして第三は・・・
そう、便意である。
「単独行、関係ないじゃないか!」という声が聞こえてきそうである。私もそう思う。
登山口を発って間もなく、森のなかに分け入る。鮮やかな緑に包まれる。
やがて、「28曲り」なる長い長い急登にさしかかる。
8月のことであるから、山とは言っても暑い。ましてやお盆休みで食べに食べたことでふっくらぷりぷりした身体である。汗がとまらない。水分をとる。水は3リットル用意してある。
ふうふう言いながら急登を登りきると、なんだかいい感じの登山道に出た。秋に来れば綺麗なこと間違いなしである。
「凄い根っこだなあ」
などとHarima氏は呑気に歩いていた。すると、
「おはようさん!」
と声をかける者がいる。怪訝そうに誰かと振り向けば、そこには「便意」がいた。
「Harimaはん、今日はここからご一緒させて貰いまっせ!」
Harima氏の悠々自適な単独行の計画はここで潰れた。お尻のあなに適切な力を加えて歩くHarima氏のそばには、常に便意が寄り添っている。胡散臭い関西弁でぺちゃくちゃとHarima氏に話しかけている。だがHarima氏は顔を赤くしたり青くしたり、時には尋常でないほどの脂汗をかいたりしながら無言で歩きつづけている。
「おい、便意。」
Harima氏は足元を睨み付けながら吐き棄てるように告げる。
「頂上に着けばトイレがある。そこで俺とお前とはお別れだ。今日は単独行に来たんだ。お前の相手はしたくない。わかるな?」
「へい、わかりますとも!」
便意は揉み手をしながら、ニヤニヤ笑っている。
「本当にわかっているのか?だいたいお前は・・・」
そこまで言うとHarima氏は黙った。その顔は真っ赤であり、額には脂汗が浮かんでいた。
*
頂上に着いた。辺り一帯は雲に覆われ、視界は真っ白である。
「これは残念。ところで便意の奴の姿が見えないが、あいつはどこに行ったんだ?折角トイレがあるからお別れしてやろうと思ったのに・・・まあいい。あいつが居ない隙に下山してやろう。」
その時、雲が風に流されていった。わずか数十秒であったが、山頂一帯を太陽が照らした。
「これは嬉しいな。便意の奴もいよいよどこかに行ってしまったようだし、さっさと下山するとしよう!」
Harima氏は颯爽と山頂を後にした。
*
下山開始、数十分後。
Harima氏は、なんだか雰囲気の良い尾根を歩いていた。肛門に絶妙な力を入れて。
「酷いじゃありませんか、Harimaはん。」
Harima氏の顔を覗きこみながら便意は言う。
「どうしてお前は・・・」
額に脂汗を浮かべながら恨めしそうに呟く。
「どうしてお前は、トイレのある山頂では姿を消す癖に、前にも後ろにもトイレのない山道の真っ只中で俺のそばに来るんだ!」
その瞬間、Harima氏は木の根を踏んでズルリと滑った。肛門の力加減が崩れそうになる。
(危ない。)
Harima氏は心のなかで呟く。
(下山時は疲労もたまっているから踏ん張りが効かない。さらにこの登山道は木の根が這い回っている。こいつを踏んだら滑ってしまう。慎重になる必要があるな。さもないと・・・)
さもないと、滑った拍子に全身に過剰な力が入ってしまう。過剰な力は肛門にも及ぶだろう。肛門に過剰な力が加われば、お尻のあなから半固形の汚いものが飛び出てしまう可能性だってある。そして、それが意味するものは・・・
「『(社会的)死』だ。」
このとき、Harima氏は孤独に死と向き合っていた。『孤高の人』として有名な登山家・加藤文太郎も厳冬期の氷ノ山で死と向き合っていた。Harima氏は自らの境遇を加藤文太郎と重ね、思った。
「偉大な登山家たちは、ウ○コはどうしていたのだろう?」
小説において、主人公の心理は詳細に描写されるが、排泄のシーンの描写はほとんど見ることがない。加藤文太郎はどこで用を足していたのだろう。例えば今、俺が歩いている登山道の真ん中で?或いは登山道を少し逸れて?ここで用を足すとして、その最中に前後から他の登山者がやって来たらどうする?そこで待っているのはやはり(社会的)死ではないか?
Harima氏の思索は高次に哲学的な域に達していた。そもそも社会から隔絶された『山』という環境において『社会的死』という現象は起こり得るのか?実は『死』でも何でもなく、これは新たな『生』への一歩となるのではないか?つまり俺はいま、ここで用を足すことで野生に還り、社会的な死を超克して、自然のなかに生を得る可能性を有していると考えられなくもない・・・!
あまりの腹痛にHarima氏の思索は迷子どころかすっかり遭難してしまっていたが、そんな下らぬ考えに頭を支配されたことで、Harima氏はなんとか登山口まで戻ることが出来た。
Harima氏は、今日も社会的に生きています。