2015年 03月 30日
春休み |
「春休み」
そう聞いて二週間程度を思い浮かべる人は小中学生、あるいは高校生であろう。
大学生の春休みはべらぼうに長い。正月休みが終わったかと思えば、すぐに試験期間を迎え、試験期間が終わると同時に春休みはやってくる。つまり、二月の上旬(大学・学部によっては一月の下旬)には春休みを迎えることになるのである。
しかし、二月の上旬と言えば、世間一般の感覚からすれば冬真っ盛りである。しかし阿呆の代名詞たる大学生の脳みそにはそよそよと春風が吹き、試験期間中の猛勉強の最中に立てた「試験が終わったら、自由な時間を使ってもっともっと勉強しよう!」という高尚な誓いはふわふわと遥か彼方へ飛んでいってしまう。「春眠暁を覚えず…むにゃむにゃ」などと言って惰眠を貪りながらこの世の春を謳歌する。
さて、ここで衝撃的な事実を公表したい。私は先ほど、帰りの電車のなかでこの事実に気付き、思わずギョッとして目を見開いた。
「社会人に春休みはない。」
ああ無情!なんと無慈悲で冷酷なる事実か!社会人に春休みはない!
思えば、私がまだ誰からも無条件に愛されるふわふわした塊だった頃、「休み」と「平日」の境界は曖昧であり、年がら年中が休みであり平日でもあった。
やがて、私がランドセルを背負うようになったとき、せんせいは「平日あれ」と言った。するとそこには平日があった。ここに平日と休みとは峻別された。
しかしこの頃には、春休みがあったし夏休みも冬休みもあった。我々にとって唯一の不満は「なぜ秋休みがないのか」のただ一点に集約されていた。
やがて、大学生になった。大学生には冬休みはない。春休みと夏休みがあるのみである。しかし腐れ大学生たちは、「自主休講あれ」と言った。するとそこには自主休講があった。ここに平日と休みとを分かつ境界は再び曖昧なものとなり、一切は混沌に覆われた。大学生たちは休みとも平日とも分からないカオスの中で阿呆踊りを踊り、無為に日々を過ごすうちに社会人になった。
「社会人に春休みはない。」
かつて腐れ大学生であった社会人は、「春休みあれ」と言った。しかしそこには春休みはなかった。社会人は、秩序というものの恐ろしさを思い知った。私は、この恐怖するべき事実をここに公表するものである。
そう聞いて二週間程度を思い浮かべる人は小中学生、あるいは高校生であろう。
大学生の春休みはべらぼうに長い。正月休みが終わったかと思えば、すぐに試験期間を迎え、試験期間が終わると同時に春休みはやってくる。つまり、二月の上旬(大学・学部によっては一月の下旬)には春休みを迎えることになるのである。
しかし、二月の上旬と言えば、世間一般の感覚からすれば冬真っ盛りである。しかし阿呆の代名詞たる大学生の脳みそにはそよそよと春風が吹き、試験期間中の猛勉強の最中に立てた「試験が終わったら、自由な時間を使ってもっともっと勉強しよう!」という高尚な誓いはふわふわと遥か彼方へ飛んでいってしまう。「春眠暁を覚えず…むにゃむにゃ」などと言って惰眠を貪りながらこの世の春を謳歌する。
さて、ここで衝撃的な事実を公表したい。私は先ほど、帰りの電車のなかでこの事実に気付き、思わずギョッとして目を見開いた。
「社会人に春休みはない。」
ああ無情!なんと無慈悲で冷酷なる事実か!社会人に春休みはない!
思えば、私がまだ誰からも無条件に愛されるふわふわした塊だった頃、「休み」と「平日」の境界は曖昧であり、年がら年中が休みであり平日でもあった。
やがて、私がランドセルを背負うようになったとき、せんせいは「平日あれ」と言った。するとそこには平日があった。ここに平日と休みとは峻別された。
しかしこの頃には、春休みがあったし夏休みも冬休みもあった。我々にとって唯一の不満は「なぜ秋休みがないのか」のただ一点に集約されていた。
やがて、大学生になった。大学生には冬休みはない。春休みと夏休みがあるのみである。しかし腐れ大学生たちは、「自主休講あれ」と言った。するとそこには自主休講があった。ここに平日と休みとを分かつ境界は再び曖昧なものとなり、一切は混沌に覆われた。大学生たちは休みとも平日とも分からないカオスの中で阿呆踊りを踊り、無為に日々を過ごすうちに社会人になった。
「社会人に春休みはない。」
かつて腐れ大学生であった社会人は、「春休みあれ」と言った。しかしそこには春休みはなかった。社会人は、秩序というものの恐ろしさを思い知った。私は、この恐怖するべき事実をここに公表するものである。
by Harimabirder
| 2015-03-30 22:43
| 花