2015年 02月 17日
春の夜 |
「春の夜の空気は懐かしい匂いがする。」
彼はそう語る。
「ここで言う春の夜とは、3月後半から4月の頭にかけての夜のことだ。昼間は春らしくなってきたが、陽が沈めばまだまだ肌寒い、あの季節のことだ。」
この季節の夜は肌寒い。昼間、陽気に釣られて薄着の服装で出掛けたことを後悔するほどに肌寒い。しかしその空気は、冬のそれとは明らかに違う。湿り気を帯びており、胸いっぱいに息を吸い込んでも喉が痛くなることはないように思える。そんな空気だ。
彼がこの空気を思い出すのは、決まって自転車を立ち漕ぎしているときである。立ち漕ぎで息を切らしながら、溺れるように吸い込む春の夜の空気は冷たく、湿っている。
あの日、4月になったばかりのある夜、彼は自転車を東へと走らせていた。
百万遍の交差点から銀閣寺道の交差点へと向かう今出川通はゆるやかに傾斜しており、登り坂を成している。坂道は、立ち漕ぎで走る彼の呼吸を激しくさせた。
息を吸って、吐く。また吸って、吐く。その運動は身体に熱を過分に与え、額を汗が伝う。その一方で薄手のシャツがいとも簡単に冷気の通過を許し、涌き出た汗は瞬く間に体を冷やした。彼は体温の動的なバランスを感じながら、湿り気を帯びた冷気をまた胸いっぱいに吸う。
やがて銀閣寺道の交差点についたとき、彼は吸気の中に春の気配を読み取った。ここを左に折れて白川通を北へと向かうのが彼の正しい帰り道であったが、彼はここで両足を地に着けた。
闇夜に白く漂う何かが春の気配を発しているーーそれが桜であると気付くのにそう時間はかからなかった。
肩で息を整えながら、彼は暫しの間、桜の木を眺め続けた。
まだ満開には程遠い桜を見て、彼はそこに新しい生活の予感を感じ取った。湿り気を帯びた冷気に満たされていた肺は、その空気を吐き出すと、次は期待に膨れ上がった。春の夜の空気は、新たな季節、新たな生活への期待そのものであった!
*
いつまでその桜を眺めていただろう。彼の体はすっかり冷えきってしまった。小さな嚔をすると、彼は体を温めるべく立ち漕ぎをして、白川通を北へと向かうのであった。
*
2月にしては温暖な今宵、雨に湿る街で、自転車を押しながら彼は深呼吸した。そして自転車に跨がると、立ち漕ぎをして闇の中へと消えていった。
あの日の桜が、街灯の明かりに静かに揺れた。
*
今日の写真は梅林のジョウビタキ♀。
彼はそう語る。
「ここで言う春の夜とは、3月後半から4月の頭にかけての夜のことだ。昼間は春らしくなってきたが、陽が沈めばまだまだ肌寒い、あの季節のことだ。」
この季節の夜は肌寒い。昼間、陽気に釣られて薄着の服装で出掛けたことを後悔するほどに肌寒い。しかしその空気は、冬のそれとは明らかに違う。湿り気を帯びており、胸いっぱいに息を吸い込んでも喉が痛くなることはないように思える。そんな空気だ。
彼がこの空気を思い出すのは、決まって自転車を立ち漕ぎしているときである。立ち漕ぎで息を切らしながら、溺れるように吸い込む春の夜の空気は冷たく、湿っている。
あの日、4月になったばかりのある夜、彼は自転車を東へと走らせていた。
百万遍の交差点から銀閣寺道の交差点へと向かう今出川通はゆるやかに傾斜しており、登り坂を成している。坂道は、立ち漕ぎで走る彼の呼吸を激しくさせた。
息を吸って、吐く。また吸って、吐く。その運動は身体に熱を過分に与え、額を汗が伝う。その一方で薄手のシャツがいとも簡単に冷気の通過を許し、涌き出た汗は瞬く間に体を冷やした。彼は体温の動的なバランスを感じながら、湿り気を帯びた冷気をまた胸いっぱいに吸う。
やがて銀閣寺道の交差点についたとき、彼は吸気の中に春の気配を読み取った。ここを左に折れて白川通を北へと向かうのが彼の正しい帰り道であったが、彼はここで両足を地に着けた。
闇夜に白く漂う何かが春の気配を発しているーーそれが桜であると気付くのにそう時間はかからなかった。
肩で息を整えながら、彼は暫しの間、桜の木を眺め続けた。
まだ満開には程遠い桜を見て、彼はそこに新しい生活の予感を感じ取った。湿り気を帯びた冷気に満たされていた肺は、その空気を吐き出すと、次は期待に膨れ上がった。春の夜の空気は、新たな季節、新たな生活への期待そのものであった!
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いつまでその桜を眺めていただろう。彼の体はすっかり冷えきってしまった。小さな嚔をすると、彼は体を温めるべく立ち漕ぎをして、白川通を北へと向かうのであった。
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2月にしては温暖な今宵、雨に湿る街で、自転車を押しながら彼は深呼吸した。そして自転車に跨がると、立ち漕ぎをして闇の中へと消えていった。
あの日の桜が、街灯の明かりに静かに揺れた。
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今日の写真は梅林のジョウビタキ♀。
by Harimabirder
| 2015-02-17 21:12
| 野鳥