2015年 02月 03日
節分。 |
Harima氏は節分が大好きである。
2月3日、京都は大いに盛り上がる。
「祇園祭より楽しいかも!」
Harima氏はそう主張する。むろん、これは少しばかり言い過ぎだ。
*
学生時代の後半を、Harima氏は聖護院で過ごした。
聖護院と聞けば「八ツ橋!」と答えられる人も多いことと思う。
東大路丸太町の北西角に熊野神社という神社があるが、ここでは節分の日に温かいお茶と生八ツ橋を振る舞ってくれる。
節分の日、Harima氏は家を出ると真っ先にここに向かった。
(※念のために申しておくと、これは大学4回生のときの話であり、大方単位も揃っていたため、この年に限っては図書館に籠る必要がなかったのだ。)
そして、焚き火を眺めながら生八ツ橋を噛み締める。
東大路丸太町の界隈は、この日に限らずいつでもニッキの香りが漂っていた。
次に私は東大路を一気に四条まで南に下る。
八坂神社に行くのだ。
八坂神社では舞妓さんが舞い、豆を撒いてくれる。
貧乏学生がタダで綺麗な舞妓さんを見られる貴重な機会である。Harima氏は「ありがたや!おお、ありがたや!」と大いにありがたがった。
ここで一通り楽しんだあと、再び足を北に運ぶ。
三条、丸太町を越え、近衛通の次、東一条通を右に折れる。
この東一条通という道は普段、右手にグラウンド、左手に怪しげな看板がたくさん立て掛けられているという怪しげな道なのだが、この日ばかりはここに沢山の露店が立ち並ぶ。
ソースの焦げる芳ばしい匂いが鼻をくすぐる。
この日、吉田神社は盛大に賑わう。
その喧騒は、さすがに大学図書館の中にまでは届かない。だが、ひとたび気分転換のために外の空気を吸いに出ると、目と鼻の先でお祭りが始まっていたことに驚きを覚える。机に戻って法律書を開いても、既に気はそぞろになっていて集中できそうもない。やがては全てを鞄に閉まってふらりと外に繰り出してしまうのである。
平生の吉田神社は森閑としている。
その光景をよく見知っているだけに、突如目の前に異世界が拓けたような気がして実に面白い。祭というものは、日常の隙間に非日常が割り込んで我々の面前にヌッと姿を顕すという性質を有しており、そこに我々は異様な興奮を覚えるのかもしれない。
思えば、祇園祭もその点が最高に面白い。
あなたは四条烏丸の交差点のど真ん中に立ったことがあるか?
片側二車線の、市バスやタクシーがせわしなく行き交う車道の真ん中に。
これぞ奇観である!と言わんばかりに東西、南北に大通が伸び、そこを大衆が埋め尽くしている。その「非日常」に圧倒されたとき、私の耳に大衆の発する雑音は一切届かなくなる。その刹那、私は祭のなんたるかをぼんやりと悟るのであった。
*
こんな話をしていると京都に行きたくなってしまった。
ちなみに私は職場で「月に1、2回京都に行く人」と言われている。
今日の写真は去年?撮った八坂神社での舞妓さん。
カメラはCANNON EOS kiss X5を使用していた。
2月3日、京都は大いに盛り上がる。
「祇園祭より楽しいかも!」
Harima氏はそう主張する。むろん、これは少しばかり言い過ぎだ。
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学生時代の後半を、Harima氏は聖護院で過ごした。
聖護院と聞けば「八ツ橋!」と答えられる人も多いことと思う。
東大路丸太町の北西角に熊野神社という神社があるが、ここでは節分の日に温かいお茶と生八ツ橋を振る舞ってくれる。
節分の日、Harima氏は家を出ると真っ先にここに向かった。
(※念のために申しておくと、これは大学4回生のときの話であり、大方単位も揃っていたため、この年に限っては図書館に籠る必要がなかったのだ。)
そして、焚き火を眺めながら生八ツ橋を噛み締める。
東大路丸太町の界隈は、この日に限らずいつでもニッキの香りが漂っていた。
次に私は東大路を一気に四条まで南に下る。
八坂神社に行くのだ。
八坂神社では舞妓さんが舞い、豆を撒いてくれる。
貧乏学生がタダで綺麗な舞妓さんを見られる貴重な機会である。Harima氏は「ありがたや!おお、ありがたや!」と大いにありがたがった。
ここで一通り楽しんだあと、再び足を北に運ぶ。
三条、丸太町を越え、近衛通の次、東一条通を右に折れる。
この東一条通という道は普段、右手にグラウンド、左手に怪しげな看板がたくさん立て掛けられているという怪しげな道なのだが、この日ばかりはここに沢山の露店が立ち並ぶ。
ソースの焦げる芳ばしい匂いが鼻をくすぐる。
この日、吉田神社は盛大に賑わう。
その喧騒は、さすがに大学図書館の中にまでは届かない。だが、ひとたび気分転換のために外の空気を吸いに出ると、目と鼻の先でお祭りが始まっていたことに驚きを覚える。机に戻って法律書を開いても、既に気はそぞろになっていて集中できそうもない。やがては全てを鞄に閉まってふらりと外に繰り出してしまうのである。
平生の吉田神社は森閑としている。
その光景をよく見知っているだけに、突如目の前に異世界が拓けたような気がして実に面白い。祭というものは、日常の隙間に非日常が割り込んで我々の面前にヌッと姿を顕すという性質を有しており、そこに我々は異様な興奮を覚えるのかもしれない。
思えば、祇園祭もその点が最高に面白い。
あなたは四条烏丸の交差点のど真ん中に立ったことがあるか?
片側二車線の、市バスやタクシーがせわしなく行き交う車道の真ん中に。
これぞ奇観である!と言わんばかりに東西、南北に大通が伸び、そこを大衆が埋め尽くしている。その「非日常」に圧倒されたとき、私の耳に大衆の発する雑音は一切届かなくなる。その刹那、私は祭のなんたるかをぼんやりと悟るのであった。
*
こんな話をしていると京都に行きたくなってしまった。
ちなみに私は職場で「月に1、2回京都に行く人」と言われている。
今日の写真は去年?撮った八坂神社での舞妓さん。
カメラはCANNON EOS kiss X5を使用していた。
by Harimabirder
| 2015-02-03 22:14
| 京都