2015年 01月 15日
虫の居所 |
文学作品に登場する主人公たちは皆、感受性が豊かで知識に富み、繊細である。
繊細であるというのは精神的な意味に於いてであるが、一方で肉体的な意味に於いても繊細であることが多い。
「なぜ文学作品の主人公は、療養のために単身越してきた田舎の館の窓から、移ろいゆく景色を眺めて物思いに耽るのだろう?」
「なぜ愉しい気分で足を伸ばした雑踏のなかで、ふと体の疲れを感じて憂鬱になったりするのだろう?」
「なぜ割りと頻繁に血混じりの咳をするのだろう?」
文学作品というものを読んでみようという気持ちになったとき、ページをめくりながら上のような疑問を抱いたことのある読者はそう少なくないはずだ。
私はこう考える。
彼らは一般人よりも鋭く、洞察に勝れ、感受性に富む。それらの特性はひとことに繊細であると言い換えられる。その繊細さ故に精神は人一倍の感動を強いられ、やがて精神を摩耗させる。そこに病魔の忍び寄る隙が生じるのだと。
さて、本題に入ろう。
私は中学の頃より頻繁に腹痛に見舞われるようになった。
勉強をしていても、遊んでいても、運動をしていても、ところ構わず腹痛はやってくる。
部活動の野球の試合の途中で、トイレに行って試合を止めたこともある。
冬にジョギングをしている途中に腹痛に見舞われ、ダッシュで戻ってしゃがみこんだ和式便所で脚が攣ったこともある。あれは大層難儀した。
大学受験の際には、大量の下痢止めを常備して試験に臨んだ。
何故か?
中島敦曰く、兵庫のHarimaは博学才頴、平成の或年、若くして云々。
つまり一般人よりも洞察に勝れ、頭がよく回るために物事が見えすぎる。見えすぎるがために精神を疲弊せしめてしまうという典型的文学青年なのである。
「才に恵まれるというのも困ったものだ!おかげで精神を病んで腹を痛めてしまう!」
Harima氏は腹痛が、己れの才ゆえの精神的なものであると放言して憚らない。
そして、これだけお利口なのだから腹痛もやむを得ないと考えているふしがあった。
しかしそれに苦言を呈した者がいた。
「一緒に街を歩くたびにトイレの前で待たされる身にもなってみなさい!」
私は渋々ながら病院に行った。
そして自称天才は検便を受けた。これは大層くさかった。
医者曰く「蓋し汝の糞便に一種の細菌あり。良薬を服みて宜しく此を除くべし」(適当)
嗚呼!憐れなHarima!
腹痛は彼の天才ゆえの繊細さから生じたものではなかった!腹のなかにずっと菌がいただけであったのだ!
改めて考察するに、文学作品の主人公は繊細な知性を得るための、謂わば等価交換として精神を病むに至ったのである。しかし憐れなHarima氏は、ただ腹のなかに菌がいたが為に腹を痛めており、それを「才ゆえの精神的なもの」と思い込んで一人満足していたのであった。これではとんだ道化である。
「いいもん。薬を服んで脱・腹痛するもん!」
Harima氏は存外、前向きである。
写真は先斗町で撮った路地。
この文章は帰りの電車のなかで書いたので、家について一風呂浴びてからのんびり手直しします。とりあえず投稿!
繊細であるというのは精神的な意味に於いてであるが、一方で肉体的な意味に於いても繊細であることが多い。
「なぜ文学作品の主人公は、療養のために単身越してきた田舎の館の窓から、移ろいゆく景色を眺めて物思いに耽るのだろう?」
「なぜ愉しい気分で足を伸ばした雑踏のなかで、ふと体の疲れを感じて憂鬱になったりするのだろう?」
「なぜ割りと頻繁に血混じりの咳をするのだろう?」
文学作品というものを読んでみようという気持ちになったとき、ページをめくりながら上のような疑問を抱いたことのある読者はそう少なくないはずだ。
私はこう考える。
彼らは一般人よりも鋭く、洞察に勝れ、感受性に富む。それらの特性はひとことに繊細であると言い換えられる。その繊細さ故に精神は人一倍の感動を強いられ、やがて精神を摩耗させる。そこに病魔の忍び寄る隙が生じるのだと。
さて、本題に入ろう。
私は中学の頃より頻繁に腹痛に見舞われるようになった。
勉強をしていても、遊んでいても、運動をしていても、ところ構わず腹痛はやってくる。
部活動の野球の試合の途中で、トイレに行って試合を止めたこともある。
冬にジョギングをしている途中に腹痛に見舞われ、ダッシュで戻ってしゃがみこんだ和式便所で脚が攣ったこともある。あれは大層難儀した。
大学受験の際には、大量の下痢止めを常備して試験に臨んだ。
何故か?
中島敦曰く、兵庫のHarimaは博学才頴、平成の或年、若くして云々。
つまり一般人よりも洞察に勝れ、頭がよく回るために物事が見えすぎる。見えすぎるがために精神を疲弊せしめてしまうという典型的文学青年なのである。
「才に恵まれるというのも困ったものだ!おかげで精神を病んで腹を痛めてしまう!」
Harima氏は腹痛が、己れの才ゆえの精神的なものであると放言して憚らない。
そして、これだけお利口なのだから腹痛もやむを得ないと考えているふしがあった。
しかしそれに苦言を呈した者がいた。
「一緒に街を歩くたびにトイレの前で待たされる身にもなってみなさい!」
私は渋々ながら病院に行った。
そして自称天才は検便を受けた。これは大層くさかった。
医者曰く「蓋し汝の糞便に一種の細菌あり。良薬を服みて宜しく此を除くべし」(適当)
嗚呼!憐れなHarima!
腹痛は彼の天才ゆえの繊細さから生じたものではなかった!腹のなかにずっと菌がいただけであったのだ!
改めて考察するに、文学作品の主人公は繊細な知性を得るための、謂わば等価交換として精神を病むに至ったのである。しかし憐れなHarima氏は、ただ腹のなかに菌がいたが為に腹を痛めており、それを「才ゆえの精神的なもの」と思い込んで一人満足していたのであった。これではとんだ道化である。
「いいもん。薬を服んで脱・腹痛するもん!」
Harima氏は存外、前向きである。
写真は先斗町で撮った路地。
この文章は帰りの電車のなかで書いたので、家について一風呂浴びてからのんびり手直しします。とりあえず投稿!
by Harimabirder
| 2015-01-15 22:00
| 京都